2020-01-17 第200回国会 参議院 外交防衛委員会 閉会後第1号
しかし、今回は相手が海賊でないために、国連海洋法条約上、旗国に排他的管轄権を認めているため、幾ら日本人が乗ったり、積荷が日本向け、あるいは日本の会社が運航していても、船籍が外国であればその旗国の排他的管轄権を越えて強制力を発揮することはできないということになっております。
しかし、今回は相手が海賊でないために、国連海洋法条約上、旗国に排他的管轄権を認めているため、幾ら日本人が乗ったり、積荷が日本向け、あるいは日本の会社が運航していても、船籍が外国であればその旗国の排他的管轄権を越えて強制力を発揮することはできないということになっております。
幾ら日本人が本当にまじめに物づくりをし、額に汗して働いても、その富がごっそり取られてしまうという、そういうことがあり得るわけですよね。そうならないような注意をしっかりしなきゃいけないなと思いまして、例えば今、米欧の金融当局が新たな金融規制の検討を進めております。国際決済銀行のBISの下にありますバーゼル委員会からは、自己資本規制と流動性規制の案が出されておりますよね。
一方で、日本人の帰国のところの規定がありまして、このときにも日本人は、幾ら日本人でも旅券とかそういうものが有効であるということはチェックするわけですね。そうしますと、実質は日本人と入国時の審査の中身というのは変わらないじゃないかと思うんです。 局長、間違いございませんか。
なぜならば、これは日本のODAですけれども、やはり言葉の問題、文化の違い、生活習慣の違い、こういったものからすべての国にすべての能力がある日本人が行くという、これもまた幾ら日本人が優秀とはいえ風土に合う、習慣に合うような指導をできる人材が育つかといえばそうでもないわけですね。
だからこそ、日朝交渉の過程で幾ら日本人妻のことを言ってもナシのつぶてであったのに、先方の方から今日本人妻がどうのとか人道的な対応が必要だというようなことを言い始めているわけです。その辺の状況というものが変化しているということを指摘しておきたいと思います。
幾ら日本人の患者数がアメリカに比べて少ないといいましても今後ふえないという絶対的保証はないわけでございますし、どういうことが起きるかというのはわからない。したがって、エイズの蔓延防止対策ということをおやりになる、例えば厚生省がやるとか国会で法案をつくられるということについては、私は基本的には賛成でございます。
これで例えば日本において基礎研究が大事だからもうちょっと一生懸命やってくれ、大学が頑張ってくれと言われましても、やっぱり百対一だと幾ら日本人が優秀でも、これは長いことそういうことを繰り返しているとちょっとまずいんではないだろうか。
これは私は単なる政党を超えて一つの議会制度を守るというようなお気持ちでやっていただかぬと、日本人がいつまでもそんなに永久にしんぼうしておくなんということはないと思うんですよ、幾ら日本人がしんぼう強いと言いましてもね。
当然事故が出るんではないかと予想されている状態にいるというのは、幾ら日本人は事故になれているといいながらこれはひどいもんですね。 もちろんあれがこれ以上外国から来る、何といいますか、向こうに与えるスペースがないと、こっちから向こうのあれがもらえないというあれがありますね。やはり航空協定の、航空の、国の益にもならぬだろうという、こういう当然の見方も私はできるわけでございますよね。
そうすると、長期、良質、安定的なエネルギーの供給というものに手を打たなければ、日本の経済は幾ら日本人が働いても、そのメリットはみな世界に吸い上げられてしまう。石油資本のいいえじきになってしまう。
幾ら日本人が勤勉でも、永久建築物を十年、十五年で取りこわさなければならぬような事態がきたならば、これは働くことはないと思うのです。そういうような点からいたしますと、もう少しお考えになる必要があると私どもは考えるわけでございます。大臣はあの際モデルをごらんになっておらぬようでありますから、あらためて御提示いたしますので、見ていただきたいと思うわけでございます。
たとえば一切の官吏なり軍人は、その国の国籍を持った人でなければいかぬという建前をとっていれば、それは日本人だって受け入れられなくなるのだから、幾ら日本人が個人としては入れるという建前をこっち側がとっても、向うが受け入れなければ意味がない。そこのところを聞いておるのです。
アメリカは二千三百人、イギリスは九百三十八人、これは日本とほとんど同じですが、そのかわり出願件数が少い、約半分ですね、こういう具合でして、幾ら日本人が頭がよくても今あげましたイギリスやアメリカ人やドイツ人より格段にすぐれているということはないだろうから、その英米すらこれだけの人員を擁して特許の審査に当っている。
従ってこんなふうにして憲法ができたということが、やがて日本人にわかれば、幾ら日本人だってこれを変えようという考えになることはわかっているから、あたかも日本人が自分の手で作ったかのようにやらなくちゃいかぬ、そのためにそういうやり方をしたのだということを、しばしばマッカーサーはその後語っているわけであります。